離婚や面会交流に関する文献情報(その10) - NPO法人北九州おやこふれあい支援センター
NPO法人親子ふれあい支援センター(通称:こふれ)

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参考文献

離婚や面会交流に関する文献情報(その10)

ジュディス・ウオラースタイン他著、早野依子訳『それでも僕らは生きていく-離婚・親の愛を失った25年間の軌跡-』
PHP、四六判、450頁、2001年なお、翻訳の原書は2000年刊

やや古い本ではあるが、国際的に著名な本であり、このところ面会交流慎重派から引用されることの多い本なので取り上げてみよう(例、渡辺義弘「心理学的知見の教条化を排した実務運用はどうあるべきか」梶村太市、長谷川京子編『子ども中心の面会交流』。可児康則「司法における面会交流の現実」小川冨之他編『離別後の親子関係を問い直す』など)。本書はアマゾンなどで、古本としてなら購入可能。
著者の故ウオラースタイン(1921~2012年)は、離婚の当事者や、離婚に巻き込まれた子どもの抱える課題を研究した、世界を代表する研究者といっても過言ではない。米国の名門州立大学、カリフォルニア大学バークレー校の社会福祉学部の教授を長年にわたり務めた。彼女は親の離婚を経験した子どもが、時間経過の中でどのような成長・発達上の課題に向き合ってきたかを明らかにする研究を行った。彼女の著書で日本語に翻訳されているのは、本書と高橋早苗訳の『セカンドチャンス』草思社、である。翻訳が出版されていない離婚関連の本が数冊ある。
本書では、①夫婦の不和にともない、親が離婚した場合と、不和にも関わらず離婚をしなかった場合の、子どもの成長の比較、②家庭内暴力(DV)がありながらも離婚した場合と、離婚しなかった場合の子どもの成長の比較、などが取り上げられている。
著者らの研究は、1971年にカリフォルニア州マリンカウンティで別居・離婚の申立があった60家族131人の子どもを対象に始まり、18か月後、5年後、10年後、15年後、25年後の動きを考察したものである。本書では親の離婚・別居から25年後の状態に中心をおき、「離婚が完全な大人になった後の若者たちの人生形成にどう影響を及ぼすか」(15頁)を分析したものである。このため本書で取り上げられている「子ども」は、一番年下でも20代後半であり、年長の者は40代前半になっている。
本書の結論の一つは「離婚は長期に及ぶ危機であり、何年にもわたって心理面に影響を及ぼすのだということがわかってきた」(37頁)。「これまでの私たちの認識に反して、離婚の最大の衝撃は子供時代や思春期に訪れるのではなく、むしろ、異性との恋愛が中心になる成人期に頭をもたげてくるのだ」(38頁)と指摘し、「離婚は一時的な危機であり、大人が立ち直れば子供も完全に回復するという」(427頁)のは神話だと指摘している。
裁判所に対しては、「面会や監護権の計画を立てるとき、子供の友人関係や遊びに(中略)法廷に至ってはまったく無頓着だ。一般的な台本では、主役は親なのだ。舞台の中央を占めるのは、親のスケジュールや希望や権利である。私は何百という法廷判決に目を通し、何千回も親たちと話をしたが、子供の友人関係や遊びを維持することの大切さについての言及はほとんどなかった」(71頁)と指摘している。さらに、「裁判所が子供の利益を第一に考えているとはとても信じがたい。むしろ、裁判所には何も見えていないのだ」(281頁)。「なぜ法制度は、子供は変わっていくという事実、あるいは子供が自分の生活を決める計画に参加する権利をもつべきだという事実を把握していないのだろう。十二歳の子供が、六歳のときにぴったりだった靴を履くように命じられたらどうするだろう?」(282頁)。「私の研究で、裁判所の命令や調停による両親間の取り決めによって生活を牛耳られていた子供たちは揃って、自分のことを、仲間が当たり前のように享受している自由を奪われた下級市民のように感じたと語っている」(278頁)、「子供たちを守る、あるいはせめてこれ以上子供たちの心の傷を深めないための新しい解決策が切実に求められている。法制度は行き詰っている」(281頁)、という指摘は今日の日本には無縁なことであろうか。
面会交流に関しては、「面会のスケジュールは、双方の親の要求に見合う形で組まれていた。八歳と十三歳になっていた子供たちの希望や要求は、何一つ考慮されなかった」(270頁)。「六歳の子供のためにつくられた面会スケジュールが、十三歳の子供の要求に見合って当然だと思われている。子供が新しい成長段階に達するたびに、その意見を取り入れながら柔軟な対応をしていくことがどうしてできないのだろう?」(279頁)、と司法の非柔軟性を糾弾しているが、わが国ではどうであろうか。親子関係に関しては、「私の研究で、離婚後も双方の両親と親密な関係を維持した子供はひと握りしかいない。親子関係の変遷は、親や裁判所の予想を遥かに超えたものなのだ」(437頁)とウオーラースタインは指摘しているが、日本ではどうなのだろうか?実証的研究が待たれるところである。
全般的に本書は読みやすい訳文ではあるが、一部には正確でない訳文が含まれている。一か所だけ例示すると「精神分析の専門家」(268頁)の原文はmental health professionalsであり、直訳すれば「精神保健の専門家」ないし「精神衛生の専門家」であり、米国的文脈では、精神科医、臨床心理士、ソーシャルワーカーを意味する言葉である。
本書から何を学ぶかに関しては、多様な判断があろう。評者としては著者が、①親の離婚は子どもに長期的で深刻な影響を及ぼしうることを指摘し、②離婚を取り巻く当時の米国の裁判(調停を含む)制度に対し、柔軟性に欠け問題解決に効果的でないことを指摘していることに注目したい。評者にとっては、著者の指摘は決して過去のことではなく、現在の日本においても継続している課題であると思われる。
(宮﨑昭夫)